今回から、アラン・ケイの大学院時代について話をしていこう。
■大学院進学
アラン・ケイはコロラド大学で分子生物学と数学の二専攻に十分な単位を取得し、1966年に卒業した。これら以外にも、副専攻として文化人類学と英語も修め、さらには学業以外の活動もしていたので、かなり忙しい大学生活であったろう。卒業後は「ちょっと休みたいし、プログラマーとしてやっていけそうではあるけど、普通の職について、人に言われたことをするような仕事をする気にならない」と感じていた。一方で、コンピューターについて学ぶことに興味もあったし、修士号くらいなら楽をしながら取れるだろうし、ということで、コンピューター科学の大学院に行くことを考え始めた。ただ、コロラドの山の上での生活が気に入っていたので、「海抜4000フィート以上」という条件を含めて探してみたところ、当時それに見合うのはユタ大学だけだった。ユタ大学と手紙のやり取りをして入学を許可され、身一つでユタ大学のデイブ・エバンス教授の研究室に出向いたのである。
■教育者としてのデイブ・エバンス
エバンス教授は、初対面のケイに、アイバン・サザランドによるスケッチパッドの論文(第26回)を渡し、「読んできなさい」とだけ言った。一晩かけて論文を読んだケイは、そこに書かれた人間と機械とのコミュニケーションという概念、そしてコンピューティングが持つ社会的な意義という、それまで考えたこともなかった大きな可能性が存在していることに気がついた。
ケイが語るエバンス像をひとことにまとめると、「人間味に満ちたリーダー」であろうか。ケイに限らず、まだ海のものとも山のものともしれない学生を、将来何かを成し遂げるかもしれない「黄金」のように扱い、学生が自ら興味を持って勉強する環境を作り出した。エバンスは民間で働いていた時もプロジェクト・マネージャーとしてプロジェクトを成功に導いており、リーダーとしての強い資質を持っていたのだろう。
スケッチパッドの論文を読んだケイは、その論文が如何に自分の目を開いてくれたのかを、涙を流さんばかりにエバンス教授に語ったそうである。
上に書いた通り、ケイはアメリカでの年度の区切りである夏の間、進路について決めかねていたので、ユタ大学に来たのは学期途中の1966年11月だった。エバンスに、次の学期が始まるまで時間があると言われたケイは、「図書館でコンピューティングに関する論文や書籍を過去10年分遡って『全部』読みますよ。読むのは早いし、読んだものは覚えられるし。でも保存しておきたい論文を読んだら、ゼロックスコピーもとりたいです」と答えた。エバンスは、「いいね、じゃあコピー代は出すから遠慮なくいってくれ」と即答してくれたそうである。この期間に、ケイは実際に1万通以上の論文、そして図書館にあったコンピューター科学の本も全部読んのであった。
ケイがユタ大学に送った手紙の中には経歴を記したものやコロラド大学での成績証明もあり、その内容はとても「ユニーク」なものであったろう。それをみて、学期の途中でも入学させ、やりたいといったことをさせるというあたりも、エバンスの度量の大きさを示しているように思う。
ケイが小学4年生の時のクアーク先生、そしてデイブ・エバンス教授は、ケイが自身の教育体験を語る上で常に登場する。これらの先生はケイのように独学で深く学べる人にとっての理想的な環境を提供したと言える。そして、より大事なこととして、独学できる人だといっても、それを認めて伸ばせる教師の存在意義はとても大きいことである。教育に携わることの難しさについて考えさせられる例だと言えるだろう。
■オブジェクト指向の萌芽
ケイが参加したグループでは、一番新参の学生が、手間のかかる面倒な作業をする、という伝統があり、ケイは最初の週にALGOL風のプログラミング言語を大学のコンピューターで動くように移植することとなった。この言語は実はALGOLではなく、Simulaという「オブジェクト指向言語」のはしりとなったものであり、実装のコードをじっくりと読んで解読しないと移植できないものであった。数日前にスケッチパッドの論文を読んでいたケイは、SimulaにもSketchpadと同様の機構が存在していることに気づいた。スケッチパッドの論文を読みそしてSimulaの実装に触れる、という経験がのちのオブジェクト指向言語に繋がっているわけだ。
次回も引き続きケイの大学院生時代について紹介しよう。
次回掲載予定は2026年8月上旬頃
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。
