コンピューティング史見聞録(39)
アラン・ケイ

2026年5月1日

このシリーズで扱う時代が1968年にはいってきている。筆者が長年仕事を共にしてきたアラン・ケイ博士が舞台に出てくる頃合いなので、まずはケイの生い立ちを紹介しよう。

■子供時代

アラン・ケイはマサチューセッツ州で1940年に生まれた。生まれてすぐに父の出身地であったオーストラリアで数年過ごした。その頃のオーストラリアはウサギの肉をトラックで直接売りに来る行商人がおり、その呼び声を覚えている、と聞いたことがある。

アメリカに戻ったあとはマサチューセッツ州、そして主にニューヨーク州で育った。幼少期からとてつもない本の虫であり、小学生に上がる前に数百冊は本を読んでいたという。そのため小学校では先生よりもいろいろな知識を持っていた。「先生は間違っていることを指摘されるのをいやがる」ものであるが、ケイ少年は「間違っていることは正すのが良い」と思っていたために、授業中に手をあげて「先生、間違っています」ということを度々していたために、先生から目をつけられる、という小学校生活だった。

■博覧強記の本の虫

彼は本に関するエピソードには事欠かない。一冊の本を弟さんと一緒に読むために、上下反対になっている状態で本を読めるように練習したとか、本の内容をちゃんと覚えておかないとまた読み直す必要が出てしまうので、「それでは全部暗記して仕舞えば良いのではないか」と考え、本を暗記する技術を自分で身につけたと聞いたことがある。後者は彼ののちのキャリアでも大いに威力を発揮している。それは単に会話や講演で種々の本からの引用が湧き出るように出てくる、というだけではない。新しい思考や発明は、幅広い分野の情報を自分の頭の中にしまい、それらが関連しあい熟成された結果として生まれてくる、という実例だと言える。2026年時点では、「インターネットがあるのだから、さらにはAIがあるのだからもはや物事を記憶する必要はない」という意見を目にすることもあるが、この「熟成」という過程を生み出すためには記憶することが非常に重要であるように思う。

■若かりし頃の紆余曲折

ケイは技術系の高校として有名なブルックリン技術高校に進んだ。ただ、ケイは3年生の時に「校長先生に反論した」ということで放校となった。そのために、放校前に取った単位を尊重する高校に移って卒業した。そちらでは数学や科学よりも音楽に力を入れており、ケイも音楽に深くのめり込んだ。大学でも最初に行ったところでは抗議活動に参加したために退学となった。

しばらく音楽教室で教えたりしたが、その後陸軍に徴兵された。ただ、ケイは陸軍には行きたくなかったので、他の手段はないかと探したところ、あるテストを受けて好成績を収めれば、士官候補として空軍か海軍に行ける、というシステムがあることに気がついた。そのテストを受けた時は、何時間もかかるテストを時間前に終わらせてしまったのでもう帰ろうと席を立ったところ、試験官に「本当に早めに切り上げてしまって良いのか」と心配されたそうである。テストの3週間後にその試験官自身から電話があり、「ニューヨーク州でこれまで受けた人の中で3位の成績だった」と通知されたので、「ああ、だったらもう数時間くらいやっとけば良かったよ!」と言ったそうである。

空軍時代にもいろいろな紆余曲折があった。そのときにIBMが軍のために用意した、それまで「誰一人として合格したことがない」プログラミングの適正テストに合格し、軍でプログラミングをしたりもした。コロラド大学ボールダー校に入学し、数学と生物学を専攻した。

■コロラド大学へ

大学でも学業にとどまらず、演劇のために作曲や舞台装置の設計をしたり、ジャズ・ギターやパイプオルガンを弾いたりという忙しい生活を送った。また、第34回のシーモア・クレイに関する回でも触れたように、CDCが開発した CDC 6600という「スーパー・コンピューター」のプログラムをアメリカ国立気象局で仕事として書いたりもした。本人によればその頃はまだ「コンピューティングが持つ浪漫」については考えておらず、プログラムを書いて計算させるだけだった、と言っている。世の中では「ビジョナリー」だがエンジニアではないというような印象を持たれているが、なかなか配達されないCDC 6600のエミュレーターをCDC 3000上で実装し、意味のある速度で動くようにした、という逸話がある。のちにも個人向けコンピューターの研究をするなかで、設計に携わったコンピューターの「マイクロコード」を書いたりもした。プログラムを完成させて安定して動くようにする、という「我慢強さ」を発揮するタイプではないかもしれないが、必要とあれば機械語レベルでも高度なプログラムを実装する技術力は持っていたのである。

ケイは1966年に大学院に進むこととなったが、そこでの経験が後の世に大きな影響を与えることとなる。次回以降、その辺りについて紹介していくことにしよう。

次回掲載予定は2026年6月1日

著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。