このシリーズで扱う時代が1968年にはいってきている。筆者が長年仕事を共にしてきたアラン・ケイ博士が舞台に出てくる頃合いなので、まずはケイの生い立ちを紹介しよう。
■子供時代
アラン・ケイはマサチューセッツ州で1940年に生まれた。生まれてすぐに父の出身地であったオーストラリアで数年過ごした。その頃のオーストラリアはウサギの肉をトラックで直接売りに来る行商人がおり、その呼び声を覚えている、と聞いたことがある。
アメリカに戻ったあとはマサチューセッツ州、そして主にニューヨーク州で育った。幼少期からとてつもない本の虫であり、小学生に上がる前に数百冊は本を読んでいたという。そのため小学校では先生よりもいろいろな知識を持っていた。「先生は間違っていることを指摘されるのをいやがる」ものであるが、ケイ少年は「間違っていることは正すのが良い」と思っていたために、授業中に手をあげて「先生、間違っています」ということを度々していたために、先生から目をつけられる、という小学校生活だった。
■博覧強記の本の虫
彼は本に関するエピソードには事欠かない。一冊の本を弟さんと一緒に読むために、上下反対になっている状態で本を読めるように練習したとか、本の内容をちゃんと覚えておかないとまた読み直す必要が出てしまうので、「それでは全部暗記して仕舞えば良いのではないか」と考え、本を暗記する技術を自分で身につけたと聞いたことがある。後者は彼ののちのキャリアでも大いに威力を発揮している。それは単に会話や講演で種々の本からの引用が湧き出るように出てくる、というだけではない。新しい思考や発明は、幅広い分野の情報を自分の頭の中にしまい、それらが関連しあい熟成された結果として生まれてくる、という実例だと言える。2026年時点では、「インターネットがあるのだから、さらにはAIがあるのだからもはや物事を記憶する必要はない」という意見を目にすることもあるが、この「熟成」という過程を生み出すためには記憶することが非常に重要であるように思う。
また、世の中には異なる視点があるということを学べたことがケイにとって重要であった。
■ある先生との出会い
上で触れたように、ケイは小学生の時に先生に「異なる視点」からの意見を言って怒らせてしまうという経験をしていたが、4年生の担任であったメアリ・クアーク先生は違った。クアーク先生は教室の中に、工具や針金や電池などの「がらくた」と何冊かの本を集めた机を用意していたが、それが何のためなのかは説明しなかった。ケイは誰に言われたわけでもなく本を読み、釘に針金を巻いて電磁石を作れるという記述に行き当たった。興味をそそられたケイは我慢できずに、英語の授業中に教科書で隠しながら実際に作ってみると、なんと、ちゃんとクリップが釘に引き寄せられたのである。ケイ少年は思わず「できた!」と声を出してしまった。すぐに「先生に叱られる」と恐れる気持ちを抱いたが、クアーク先生は「おや、どうやったの?みんなに説明してくれる?他にはどんなことが本に書かれていたの?」と授業を中断してケイ少年に説明させた。そして午後は、何人かの子供達が本に書かれている実験をする時間を設けてくれたそうである。

■若かりし頃の紆余曲折からコロラド大学へ
ケイは高校や最初の大学でも抗議活動をして退学になったり、音楽スタジオでギターを教えて生活する、という時期もあった。所属した空軍で、IBMが用意したプログラミングの適正テストでの初めての合格者となり、プログラムを作成する部門に転属した。本人によればその頃は彼をのちに有名とする「コンピューティングが持つ浪漫」の考えには至っておらず、プログラムを書いて計算させるだけだった、と言っている。
後の「ビジョナリー」としての発言から、世の中にはケイのがエンジニアリング能力を過小評価する向きもあるようだが、なかなか配達されないCDC 6600のエミュレーターをCDC 3000上で実装し、意味のある速度で動くようにした、という逸話もある。また、のちにも個人向けコンピューターの研究をするなかで、設計に携わったコンピューターの「マイクロコード」を書いたりもした。プログラムを完成させて安定して動くようにする、という「我慢強さ」を発揮するタイプではないかもしれないが、必要とあれば機械語レベルでも高度なプログラムを実装する技術力は持っていたのである。
ケイは1966年に大学院に進むこととなったが、そこでの経験が後の世に大きな影響を与えることとなる。次回以降、その辺りについて紹介していくことにしよう。
次回掲載予定は2026年7月上旬頃
著者:大島芳樹
東京工業大学情報科学科卒、同大学数理・計算科学専攻博士。Walt Disney Imagineering R&D、Twin Sun社、Viewpoints Research Instituteなどを経て、現在はCroquet Corporationで活躍中。アラン・ケイ博士と20年以上に渡ってともに研究・開発を行い、教育システムをはじめとして対話的なアプリケーションを生み出してきた。2021年9月に株式会社京都テキストラボのアドバイザーに就任。2022年8月より静岡大学客員教授。
